唐津ぐい呑み
唐津ぐい呑みの魅力は、素朴な土の温もり、土の味わい。「陶工」の目指したものそれは、「用の美」

唐津ぐい呑み-ぐい呑みへのこだわり


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唐津のぐい呑みの魅力(3)

唐津のぐい呑と美味しい酒

唐津ぐい呑み-斑唐津-雀口美味しい酒が好きです。

でもそれは、特別なお酒ではありません。

名店と呼ばれる店で銘酒をいただいても、昔みたいに心は躍らなくなってきています。

高級な食材を前に盛り付ける料理は、形は美しく季節感も趣向を凝らして見ごたえはあるけれど、そういう凝った演出のある食事は、もっともらしく、お金と手間をかけたことはわかりやすいかもしれませんが、何となく居心地が悪く感じてしまいます。

余計なものが一切なく、酒として簡素な食事が心休まる。
気取りのない毎日の食卓の姿が何よりも美しいと感じる。

一番の御馳走は肴である、と素直に言える。
これもまた、ぐい呑みから学んだことです。

素材の勢いを失わず、本来の味を殺さないこと。
土からできたぐい呑みが教えてくれたのはごく当たり前に酒の素材と向き合うことです。

素朴で何気なく実直なぐい呑みには土の匂いのする料理が似合います。

自分が暮らす身近な場所で採れる新鮮な食材を慈しみ、日々の食事を朗らかにいただきたいと思います。

そんな時間とお酒とが美味しいと感じられます。

唐津のぐい呑みには、素朴な肴が美味しい。

ぐい呑みを感じるということ-美術館のすすめ

ものごとを見るとき、知識はときに邪魔になることがあると思います。

美術展などで会場入り口そばにある解説は有用なこともありますが、文面をさらりと読んで作品そのものを「感じる」ために、その解説に縛られないようにしてみてください。

ものを見る目を固定しないように心がけてください。
美というものは学ぶためにあるのではなく、感じるためにあると思います。

そのことをいつも肝に銘じて、陶器(ぐい呑み)を見てください。
学者や専門家を目指しているのでもなく、あるいは教養を深める目的ではないのであれば、静かに、まっさらな気持ちで作品に向き合ってみてください。

まず向き合い、何を感じるのか感じないのかを「感じる」。
そのことが大事だと思います。

ぐい呑みも同様です。
ぐい呑みについて深く学んでもらいたい思いますが、一方ではいつまでもぐい呑みに対して「素人」であってもらいたいと願っています。

ぐい呑みに関しても、蘊蓄(うんちく)を並べる知識を持つよりも、五感のすべてを研ぎ澄まし、美しいものに反応できる人でありたいと思います。

古唐津を作った当時の陶工のぐい呑みを感じていたいと思います。

是非、美術館に足を運んでガラス越しでもいいから感じてください。

古唐津を感じられる美術館を紹介します。

「このとき」のぐい呑み(一期一会のぐい呑み)

「このとき」、という考えが好きです。このときにしか出合えないものを本気で慈しむ。
このときを全力で生きる。

一瞬の輝きを、このときという時間に見るのです。
「このとき」の連続こそがすべてであり、移りゆく時間はその重なり合いにほかなりません。
ぐい呑みは出合いが大切です。
また今度出合えるだろうと思っていても、同じぐい呑みには二度と出合えないと思っていたほうがいいです。

土も釉薬も、轆轤(ろくろ)の調子も、天候、風向き、湿度、陶工の心……。
すべてが同じでなければ同じぐい呑みは二度と生まれてこないのです。

ぐい呑みの形も色も焼き具合もすべてにおいて、もう二度とない「このとき」に生まれた唯一つのぐい呑みなのです。

だからこそ陶工の作ったぐい呑みは愛おしいのです。

「このときのぐい呑み」とは、究極にはそんな付き合いのできる、己が生きるために、たかが酒を飲む支えるよき相棒なのではないかと思います。

ぐい呑みを手に包み、せつなく思うのは、人の生きかたを感じるせいなのかもしれません。

生きかたとは、逃れようのない死にかたでもあると思います。

手に包まれるぐい呑みは、使う人の生の時間をも映しだします。
彼、あるいは彼女が好んで使っていたぐい呑みにはところどころ欠けて酒が染み込んでいます。

ぐい呑みは日々、手に包まれてきました、その中側も外側に残る手のあとも、ぐい呑みを使った人の存在をあらわしています。

ぐい呑みは何も語りませんが、その人を想う心によって大切にされ、やがて無二の存在となるでしょう。

ぐい呑みに、時を見る2度と戻らない大切な時間を、ぐい呑みに見ることができます。
欠けたぐい呑みを繕うことは、心の作業であるかもしれません。

繕われ、そして、ふたたび生きていく。

ぐい呑みとは人に寄り添って生きていくものなのです。
ぐい呑みは死なないのです。
ひびが入っても、かけても、割れても繕って生き返ります。

人の思い出と共に後生まで生き続けて、使ってくれた人の思い出を伝えてくれます。

ここにあるぐい呑みは一つとして同じものはありません。
誰かに嫁いだらもうそのぐい呑みは、その人と共に人生を歩んでいくのです。

唐津のぐい呑みが無二の友人として生きていくことを望んでいます。

新しいぐい呑みの仲間入り

新しいぐい呑みを下ろすとき、なるべく、さりげなく気付かないくらいの手の動きで「ぐい呑み」をお気に入りの場所へ仲間入りさせます。

長く一緒に暮らした昔からいる、ぐい呑みたちへの礼儀です。
彼らの存在を脅かせないための心遣いなのです。

普通は、買ったばかりのぐい呑みを大きな顔をさせてしまいます。
そのぐい呑みを特別扱いして、来客があるたびに人前で大声で褒めて頻繁に使ってしまいますね。

新入りが顔をきかすのはどの世界でも操め事の火種になるが、家のぐい呑みの世界にあっても同じです。

新入りは新入りとして自分の立場をわきまえなくてはなりません。

ぐい呑みたちと大事に付き合っていくこつは、意外にこんなところにもあるのです。
「あなたは新入りなんだから、食ぐい呑み棚のなかでも大きな顔をしてはいけないよ」と
新入りのぐい呑みに言い聞かせる。古株のぐい呑みたちに聴こえるようにアピールする。

ここが大事なのです。そうでないと、古くから付き合いのあるぐい呑みたちが拗ねることがあると思います。

拗ねたぐい呑みは「心が離れてしまったのなら、もういいです」とでもいうように、急によそよそしくなります。

そして、ある日突然、あっさりと割れてしまいます。

ぐい呑み好きの間で、何度かそういう話をお聞きしました。

それから、新しいぐい呑みは大きな顔をさせず、古株のぐい呑みたちと仲良くなるまで、少しずつ使うように心がけてください。

新しいぐい呑みが増えるたびに、新顔がほかのぐい呑みたちと馴染んで、一緒に育ってくれることを心から願います。

唐津のぐい呑みは、他の地方のぐい呑みに比べて少し控えめです。



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唐津ぐい呑み-唐津皮鯨-雀口



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唐津ぐい呑み作品集

唐津ぐい呑み作品集

唐津ぐい呑みサイトの「陶工達」の作品集です。

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唐津-その歴史

唐津ぐい呑み-斑唐津

無名の唐津焼が、老舗の美濃・瀬戸などの大産地と肩を並べ得た背景は何でしょうか。

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桃山文化がはぐくんだ古唐津の魅力とは

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ぐい呑み-その魅力

唐津ぐい呑み-唐津皮鯨

唐津のぐい呑みとは実に不思議な器ですね。
酒を呑む器として、ごくありふれた器なのに。

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唐津-技術と技法

唐津ぐい呑み-土と釉薬

陶土のあるところ、その顔料があり、しかも上に生えている松は燃料で、その灰は釉薬の原料。これらすべて神のなせる業。

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陶芸-用語集

唐津ぐい呑み-日本人の感性

桃山時代に花開いた唐津焼などの焼き物にはいろんな名前が付きました。焼き物専用の用語がたくさんあります。
焼きのもの語源を調べると一層焼き物が好きに。

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日本人の感性

唐津ぐい呑み-日本人の感性

やきものの「景色」は具象的に自然などの景観をイメージするというよりは、「見どころが多い」というほどの意味に使われるようです。
日本人は、その変化を感性で感じ取っています。

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唐津焼-育てる

唐津ぐい呑み-斑唐津-育つ

使っていると酒器はだんだんとその表情を変えていきます。
これも酒好き、酒器好きの楽しみの一つですね。

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日本酒とぐい呑み

唐津ぐい呑み-片口

神前に御神酒を奉納し、収穫をすれば神に感謝し、人々は酒を飲み交わす。
「御神酒あがらぬ神はない」、人が酒を飲むのは当たり。

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唐津の源流-
李朝・高麗

粉青沙器(粉粧灰青沙器)

唐津ぐい呑み-粉青沙器(粉粧灰青沙器)唐津ぐい呑み-粉青沙器(粉粧灰青沙器)
粉青沙器は印花文・象嵌文が先に発達し、剥地文・彫花文・鉄画文・刷毛文・粉粧文など白上粉粧の変化によって種類も多様になりました。

こうした粉青沙器は十五世紀初期すでに器形・文様・釉薬などから粉青沙器としての特徴を表わし始め、印花文・象嵌文・剥地文・彫花文系は世宗から世祖代まで、鉄画文・刷毛文・粉粧文系は成宗代まで殆んどその完成を見るに至ったのです。

粉青沙器の特質は、種々の粉粧法からくる力強くも、新鮮潤達な、そして自由奔放な粧飾意匠ですね。

唐津の源流ともいえる李朝の世界へ