唐津ぐい呑み
唐津ぐい呑みの魅力は、素朴な土の温もり、土の味わい。「陶工」の目指したものそれは、「用の美」

唐津ぐい呑み-ぐい呑みへのこだわり


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唐津のぐい呑みの魅力(1)

陶工の心でつくる唐津ぐい呑み

唐津ぐい呑み-唐津皮鯨唐津のぐい呑みをみて、
「作為がないのがいいです。」と人は言います。

しかし、これは陶工にとってはとても難しい問題なのです。

そもそも”ぐい呑みを作る”とは、作る行為そのものが作為なのですから。

陶工の手は無心にぐい呑を作る技があると思います。
日々轆轤に向かい、土にさわる手は、いつか陶工の意識を超え、無心で作る技が宿っています。
無心の手が生み出すぐい呑みは余計なものがなく、凛々しく、実にいい顔をしています。

「作家」という言葉にはある特有な響きがありますが、「陶工」という名は、
その特有な響き発するものをいとも簡単に越えていく、堅牢で潔い言葉です。
「陶工」という言葉は、時代と厳しさを感じさせる、ある意味、今の世に忘れ去られているかのような言葉です。

それは誰もいない工房で、誰に見届けられることもなく無言で土に向き合う人の姿を想像させます。

その仕事から生まれるぐい呑みを「陶工の心でつくるぐい呑み」としてこの”唐津ぐい呑みサイト”で紹介していきたいと思います。

内なる唐津ぐい呑みの魅力とは

ぐい呑みを作るためには、土づくりをし、石をくだき、植物を燃やし、釉薬を作り、樹を伐り出し、薪を作り、窯を焚き、寝ずの番をして、薪をくべ続けなくてはなりません。
たかがぐい呑みをつくるために・・・。

そうして出来上がったぐい呑みには力があると思います。

陶工は、昔から全身全霊を使って生きてきました。
その陶工の、生き様が心に響くぐい呑みを生み出してきたのです。

ぐい呑みの魅力とは何でしょうか。
なぜ、ぐい呑みは、心を揺すぶるのでしょうか。
どのように、心を揺すぶるのでしょうか。

形でもなく、釉薬の流れ具合でもなく、色でもなく、おそらくそれは内なるものだと思います。

陶工が表現しようとしたものは、陶工が向き合おうとしたものは何か、戦おうとしたものは何か、寄り添おうとしたものは何か、ゆだねようとしたものは何か、

その見えない何かが、ぐい呑みの内側に宿っているような気がします。
唐津のぐい呑みはその心が魅力だと思います。

唐津のぐい呑みの裏の顔を愛する

「唐津のぐい呑みには裏の顔があるとよくいわれます。」

ぐい呑みを選ぶとき、手に持ち、裏を返して見てください。

人の背中に語るものがあるように、ぐい呑みの背中、つまり裏にも豊かな表情があると思います。

高台の削り貝合は、陶工の手の調子がもっとも表れるといいます。
潔よさ、迷いのなさ、そしておおらかさ。
ぐい呑みの善し悪しを決めるのは、実は、この裏の顔の表現に表れているような気がします。
良いぐい呑みには、豊かな裏の顔があると思います。
ぐい呑みの土肌を見せた無釉の高台は、手に吸い付くような不思議な感覚があると思います。
語りかけてくるような表情もあると思います。

もともと高台はぐい呑みの重さを軽くするためとか、釉薬をつけるときに手に持ちやすいように削りを行ったものでしょうが、その姿ひとつにも、好ましいもの、そうでないものがあるからその表情を読み取って貰いたいと語りかけているようです。

土が教えてくれることを素直に受け入れたものが、やはり、心に響くのではないでしょうか。
唐津のぐい呑みの裏の顔を愛してください。

日々使ってこその「唐津のぐい呑み」

唐津のぐい呑みは酒飲みにとっては単なる器なのですが、それが単なる器と感じさせない不思議な器だと思います。

ぐい呑みに限らず盃(さかずき・杯)でも同じ酒の呑みが手にし、口に運ぶ道具です。

しかし、これまで唐津のぐい呑みは一部の趣味人が尊ぶものとして扱われてきたように思います。

特別な陶芸家の作品を並べ、大げさなイメージを与え、普通の人がぐい呑みに抱く気持ちの敷居を高くしたようにさえ思えます。

その結果、使う人を遠ざけてきたのではないでしょうか。

ぐい呑みは酒飲みの身近な器でありながら、なかなか自分で使うことができなかったように思えます。

ぐい呑みは特別の人のものではありません。
ましてや、お酒を飲む人のものだけでもありません。

料理を食べたり、お茶を飲んだりするのと同じようにぐい呑みの使い方はその人のぐい呑みに対する感性だと思えます。

「作家ものは壊れるのが恐いのでしまっています。」と聞くと、なんて、もったいないことだと思います。

そもそも「唐津のぐい呑み」は最初から酒飲みのぐい呑みとして誕生したわけではなく、
雑器として、料理を盛ったり、調味料を入れたりするものを、
酒を呑むのにちょうどいい大きさと盃に比べて量がたっぷり入るのでいつからかぐい呑みとして利用するようになったと言われています。

自分の人生に、日々使うぐい呑みは使ってこそ生きてくるような気がいたします。

そこにあらわれる経年の変化は誰のものでもなく、自分だけの時間なのです。
「唐津のぐい呑み」がすばらしいのは、その変化の妙が味わえるからではないでしょうか。

二度と取り戻せないからこそ、時間は愛おしいのです。
その時間をぐい呑みは使う人と共に生きる。
そこに、飾りたてるものは何もいらない。
共に生きるためのぐい呑みがほしい思うのです。

呑むこと、明日を生きること、その楽しみのために唐津のぐい呑みを口に当ててみて下さい。
日々使ってください。
そうすることによって、人生と共にぐい呑みも成長していくと思います。

どうか唐津のぐい呑みを育ててみてください。


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唐津ぐい呑み-粉引唐津



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無名の唐津焼が、老舗の美濃・瀬戸などの大産地と肩を並べ得た背景は何でしょうか。

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唐津のぐい呑みとは実に不思議な器ですね。
酒を呑む器として、ごくありふれた器なのに。

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陶土のあるところ、その顔料があり、しかも上に生えている松は燃料で、その灰は釉薬の原料。これらすべて神のなせる業。

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唐津ぐい呑み-日本人の感性

桃山時代に花開いた唐津焼などの焼き物にはいろんな名前が付きました。焼き物専用の用語がたくさんあります。
焼きのもの語源を調べると一層焼き物が好きに。

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日本人の感性

唐津ぐい呑み-日本人の感性

やきものの「景色」は具象的に自然などの景観をイメージするというよりは、「見どころが多い」というほどの意味に使われるようです。
日本人は、その変化を感性で感じ取っています。

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唐津焼-育てる

唐津ぐい呑み-斑唐津-育つ

使っていると酒器はだんだんとその表情を変えていきます。
これも酒好き、酒器好きの楽しみの一つですね。

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日本酒とぐい呑み

唐津ぐい呑み-片口

神前に御神酒を奉納し、収穫をすれば神に感謝し、人々は酒を飲み交わす。
「御神酒あがらぬ神はない」、人が酒を飲むのは当たり。

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唐津の源流-
李朝・高麗

粉青沙器(粉粧灰青沙器)

唐津ぐい呑み-粉青沙器(粉粧灰青沙器)唐津ぐい呑み-粉青沙器(粉粧灰青沙器)
粉青沙器は印花文・象嵌文が先に発達し、剥地文・彫花文・鉄画文・刷毛文・粉粧文など白上粉粧の変化によって種類も多様になりました。

こうした粉青沙器は十五世紀初期すでに器形・文様・釉薬などから粉青沙器としての特徴を表わし始め、印花文・象嵌文・剥地文・彫花文系は世宗から世祖代まで、鉄画文・刷毛文・粉粧文系は成宗代まで殆んどその完成を見るに至ったのです。

粉青沙器の特質は、種々の粉粧法からくる力強くも、新鮮潤達な、そして自由奔放な粧飾意匠ですね。

唐津の源流ともいえる李朝の世界へ