唐津ぐい呑み
唐津ぐい呑みの魅力は、素朴な土の温もり、土の味わい。「陶工」の目指したものそれは、「用の美」

唐津ぐい呑み-ぐい呑みへのこだわり


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唐津のぐい呑みの魅力(4)

同時代に生きるぐい呑み

唐津ぐい呑み-青唐津現代のぐい呑みと古いものを共に使う喜びを感じたという話を聞きました。

古いものも確かにいいと思います。

それは当時の”やきもの”作り(陶芸)がとても過酷だったと想像できます。

そのため、その時代の”やきもの”に力強さみたいなものを感じます。

ぐい呑みにしても力があったことが推察されます。
当時はぐい呑みとはいってなかったでしょうが。

古いものが現代に残っていること自体、可愛がられて時を経てきたものですから、魅力溢れる顔になっているのは当然といえば当然のことでしょうが、どの時代にも、陶工がいれば使い手がいるのです。

ぐい呑みを手に包み、使う人たちがいたという事実です。

現代の陶工と付き合うということは、この時間と同時代性という言葉なくして語れないと思っています。

いま、このとき、わたしたちは同じ時代に生きています。

骨董のぐい呑みがいくらよいといっても、この一点においては叶うことがないと信じています。

陶工と共に同じ時間を生きていることこそ、ぐい呑みと共に生きる醍醐味があると思います。

わたしたちはいま、あらゆることが複雑に絡み合う難しい時間に生きています。

この時代に共に生きる陶工が同じ問題を抱えて何を思いぐい呑みを作るのでしょうか。

昨日を反省し、明日を夢見ながら、そのことを真剣に見続けたいと思います。

唐津のぐい呑みで一杯傾けながら考えてみましょう。


親しみのあるぐい呑み

親しみを感じるぐい呑みがあると思います。
なぜなのかわからないが相性が良くて、いつもそのぐい呑みに手が伸びるというような。

手に包み持つのでぐい呑みが手に馴染むのか、それとも手がぐい呑みに馴染むのでしょうか。
モノとして生まれたぐい呑みに情が移り、親しい気持ちを抱く。

酒をたしなむ人のなかには晩酌の友として愛用するぐい呑みをどこへでも持っていくという人がいます。
コーヒーを飲むときは愛用のカップでなくては落ちかないという人もいるでしょう。
旅茶碗という発想も、いつでもどこでも美味しくお茶をいただくために馴染みのある茶碗を旅先まで連れていくことから始まったのだと思われます。

この、”親しみ”という感情も好きです。
身体を包んだり身に付けたりするものを選ぶとき、この親しみという尺度を大事にしたいと思います。
衣も食も住まいもすべてのものにおいて”親しみ”というものは大切なキーワードではないでしょうか。

親しみを抱くモノたちに囲まれて暮らせたらどんなに心安らかなことでしょう。
親しみとは心を許すということです。
それはほかの誰かの尺度ではなく、あくまで個々の感じ方であるべきだと思います。

流行や、人の目を通して伝わってくるものではなく、自分の身体が本当に心地がよいと感じるものに心を許して暮らしたい。次から次へとモノを消費する社会で失ったのは、この、人生を共に生きていく道具たちへの親しみではなかったのではないでしょうか。
共に生きてほしい、と。

手元にいたぐい呑みたちは陶工の作品であると同時に、恋人のように愛おしく、子供ように可愛い。

そんなぐい呑みたちへ、それぞれの居場所を見つけて、その方のそばで力のかぎり支えている存在になって欲しい願います。
日々、使われて可愛がられ、これからの日々を共に生きてほしいと。
別れのとき、心のなかで、もう会うことのない包みのなかのぐい呑みに最後の言葉をかけて送り出す。
愛しく育ってほしいと。

時を経てこそ美しい-育つぐい呑み

本来、人は、きれいなものでないと思います。
食べることと排泄を繰り返す、生き物です。
その内側は隠れていて見えないので、たいがい見えるものだけが美しければよいと思われています。
男性が目鼻立ちの整った女性ばかりをちやほやしたり、女性の方もせっかく親からもらった顔を作り変えたりすると聞くとなんと浅はかなことをと思います。

ぐい呑みに限っては見た目だけが美しく整ったものには用心しなくてはなりません。
ぐい呑みには見た目では図りかねる美しさがあると思います。
それは時を受け止める度量とも言えるかもしれません。

滋味とは使い続けてじわじわとにじみ出てくるものです。
その塩梅が人の心をくすぐりのです。
ギャラリーや店で見たときや使い始めが一番美しいのだとしたら、そのぐい呑みは残念ながらほんとうのぐい呑みではないと思います。
日々の晩酌の席にあがり、手に包まれて使われることで時を経てじわじわと美しさが増し、育っていくものこそがぐい呑みの真価だと思います。

焼き締まり丈夫なことがよいぐい呑みの条件である理由はここにあると思います。

人の顔にも生きることば時を刻み、雛が深く刻まれた老人の顔にはっとさせられることがあると思います。

陶工も実直で嘘のない顔がやはり美しいものです。
ぐい呑みは「使われた時間」がその顔に刻まれていきます。
時を経てこそ美しくなる、これがほんもののぐい呑みだと思います。

ぐい呑みの健やかさとはどんなことだろう
ぐい呑みを伝える仕事を通じて感じることがあると思います。

ぐい呑みから心惹かれるものは、土のおおらかさだと思います。
土が伸びやかにその持ち味を見せてくれることがぐい呑みの健全さにつながっています。

枯れた味わいを若い陶工が演出して作ったぐい呑みを見て興ざめするのは、そのせいだと思います。

作為はいやらしさとなります。
それは人に伝わります。いや伝わると思います。

初めから骨董のような味わいを出そうとするほうが間違っています。
ギャラリーや、店で見るぐい呑みは生まれたてなのです。
それを日々使うことでぐい呑みは育つのです。

時はぐい呑みに深い味わいをあたえます。
そのことを知ってぐい呑みとの付き合いを愉しみたいと願うばかりです。
はじめの印象がそっけないほどのぐい呑みが、後々愛おしく感じるのはそのせいだと思います。
そこにあらわれてくるのは、ほかならない使い手自身の時間なのです。
健やかさとは、土ののびやかの上にわたしたち使い手がぐい呑みを自由に使い、なんでもない日々を共に生きた時間の重みのではないでしょうか。
唐津のぐい呑みは育つといいます。
そこには土のおおらかさと、作為のない陶工の想いがあるからではないでしょうか。

育つぐい呑み

捨てられないもの-残していくもの

かつて不要なものを見極め、容赦なく捨てていく生き方に憧れた時代がありました。

捨てるとは余計なものをそぎ落とし、無になりたいとういう願望であり、その考え方は仏門に入り煩悩を消すことへの凡人の憧れのようなものと思います。

しかし、人にはどうしても捨てられないことがあります。

酒を飲み人は酒をやめられないでしょう。

ぐい呑みはその飲むことを支える道具なのです。

その思いに応えてくれる唐津のぐい呑みは静かですが素朴な力を持っています。

身の回りにそんな捨てきれないぐい呑みたちでいっぱいです。

人間、なかなか無になんかなれません。



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唐津ぐい呑み-青唐津



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唐津ぐい呑み作品集

唐津ぐい呑み作品集

唐津ぐい呑みサイトの「陶工達」の作品集です。

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唐津-その歴史

唐津ぐい呑み-斑唐津

無名の唐津焼が、老舗の美濃・瀬戸などの大産地と肩を並べ得た背景は何でしょうか。

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古唐津の魅力

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桃山文化がはぐくんだ古唐津の魅力とは

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ぐい呑み-その魅力

唐津ぐい呑み-唐津皮鯨

唐津のぐい呑みとは実に不思議な器ですね。
酒を呑む器として、ごくありふれた器なのに。

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唐津-技術と技法

唐津ぐい呑み-土と釉薬

陶土のあるところ、その顔料があり、しかも上に生えている松は燃料で、その灰は釉薬の原料。これらすべて神のなせる業。

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陶芸-用語集

唐津ぐい呑み-日本人の感性

桃山時代に花開いた唐津焼などの焼き物にはいろんな名前が付きました。焼き物専用の用語がたくさんあります。
焼きのもの語源を調べると一層焼き物が好きに。

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日本人の感性

唐津ぐい呑み-日本人の感性

やきものの「景色」は具象的に自然などの景観をイメージするというよりは、「見どころが多い」というほどの意味に使われるようです。
日本人は、その変化を感性で感じ取っています。

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唐津焼-育てる

唐津ぐい呑み-斑唐津-育つ

使っていると酒器はだんだんとその表情を変えていきます。
これも酒好き、酒器好きの楽しみの一つですね。

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日本酒とぐい呑み

唐津ぐい呑み-片口

神前に御神酒を奉納し、収穫をすれば神に感謝し、人々は酒を飲み交わす。
「御神酒あがらぬ神はない」、人が酒を飲むのは当たり。

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唐津の源流-
李朝・高麗

粉青沙器(粉粧灰青沙器)

唐津ぐい呑み-粉青沙器(粉粧灰青沙器)唐津ぐい呑み-粉青沙器(粉粧灰青沙器)
粉青沙器は印花文・象嵌文が先に発達し、剥地文・彫花文・鉄画文・刷毛文・粉粧文など白上粉粧の変化によって種類も多様になりました。

こうした粉青沙器は十五世紀初期すでに器形・文様・釉薬などから粉青沙器としての特徴を表わし始め、印花文・象嵌文・剥地文・彫花文系は世宗から世祖代まで、鉄画文・刷毛文・粉粧文系は成宗代まで殆んどその完成を見るに至ったのです。

粉青沙器の特質は、種々の粉粧法からくる力強くも、新鮮潤達な、そして自由奔放な粧飾意匠ですね。

唐津の源流ともいえる李朝の世界へ